MaMa'sは無駄遣いをしない、後悔しない、楽しくて賢い、高松の住まいのつくり手です。

巨人の星

2019/06/08

漫画の間取り最終回はご存知スポコンマンガのルーツともいえる「巨人の星」。主人公飛雄馬と一徹と明子さんとの3人暮らしです。原作は「少年マガジン」に1966年(昭和41年)から連載開始。1968年(昭和43年)からTVマンガとして放映開始ですから、まさに高度成長期時代突入の時期ですね。

まず感じることは何しろ狭いこと。これは貧乏だからというのではなく、この当時の一般的な借家住まいは大体この程度の広さということをご認識ください。その割には玄関が妙に幅広く奥行きがないんです。さらに玄関ホールという部分がなく、玄関のタタキ(土間の部分)と茶の間は障子で仕切られているという構成です。この玄関のタタキと和室のつながりは、田舎造りとも言える民家の代表的な構成なのですが、その造り方を街中の借家でも採用していたことが特徴です。これは来客時や帰宅時に玄関ドア(ガラガラ戸)を開けても直接プライベートな空間が見えず、尚且つ小さく住まいをまとめるための工夫なのかもしれません。現在では一般的な玄関ホールがなぜ必要なのかを考えさせられる間取りですね。






次に台所ですが、この当時を思い起こせば電化製品はまだまだ普及段階であり、またキッチンも人造石研ぎ出し(ジントギと略します)というグレーの石っぽい流しのみというもの。現在では標準である“システムキッチン”の前身である“ユニットキッチン”すら標準ではなかったんですね。星飛雄馬が生涯のライバルである花形満との対決に備え、炎の玉を下駄で跳ね返す技を身につける特訓をしたシーンを思い浮かべると水道も共同の井戸だったんでしょう。当然トイレは汲み取り式でしょうから、台所との距離がちょっと気になります。玄関脇の物置きは、今で言うパントリー(食品庫)でしょうか。漬物樽や野菜などを保管していたのでしょう。

これらを考えると食事する場所と寝室は一緒ではありますが、子ども部屋は二人分あるし台所やパントリーが充実した立派な借家であり、暮らすには十分な広さなのかも。小さな壁の穴でボールを木にあてて跳ね返す超人的なコントロール以上に、断熱もないうすっぺらな壁で暑さ寒さに耐え忍ぶ当時の暮らしぶりに感動したりして・・・。

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